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江戸時代にロシアに漂流し、世界で始めて露日辞典を編纂した薩摩の青年ゴンザを(私は)1999年初めに知った。同じ薩摩の血を持つ者として、すごい青年がいたものだと思っていた。

何年かぶりに鹿児島へ帰り、懐かしい天文館辺りをヒサシカブイぶらぶらしていたら、ゴンザとソウサの看板をお店先で発見した。しかもその通りも「ゴンザ通り」となっている。
お店に入りお話しを伺うと、なんとゴンザファンクラブ会長の吉村治道さんでした。
東京へ帰る飛行機の時間を気にしながら、会長さんから貴重なお話を伺いつつも、会長さんご本人が誠にゴンザに似ているではないか。
ロシアにあるゴンザの蝋製首像
ロシアに残る
ゴンザの蝋製首像

ゴンザとソウザとは

●八代将軍吉宗の時代の1728年、薩摩のある港から17人の乗組員を乗せた船が大阪の薩摩藩邸に向けて出帆した。しかし、その船は嵐に遭い6ヶ月も洋上を漂流してロシア領カムチャッカ半島にたどり着いた。

●そこでコサック隊の襲撃をうけて15人が殺された。生き残ったのは、舵取りの父の手伝いでこの船に乗り込んでいた11歳のゴンザと35歳の商人のソウザであった。

●シベリアに滞在の後、モスクワを経て1733年、ゴンザとソウザはロシアの首都ペテルブルグへ送られる。時の女帝アンナ・ヨアノヴナに謁見、手厚いもてなしを受けた。

●この時アンナ女帝はゴンザがロシア語をあまりにも上手に話すのに驚いた。ゴンザとソウザは起居をともにしながら科学アカデミーで学び、女帝の命により開設された日本語学校の教師になった。そこで18世紀前半のロシアで最高の学識者のひとりであるアンドレイ・ボグダーノフに出会う。

●1736年ソウザ没す。享年43歳であった。ひとり異国に残されたゴンザはボグダーノフ指導の下に『新スラブ・日本語辞典』ほか5点の著作の執筆にうちこむ。

●1739年12月、ペテルブルグは史上まれにみる寒波におそわれた。青春のまっただなかを駆け抜けたゴンザは21歳の生涯を終えた。

●残された6つの著作はゴンザの生きた証である。ゴンザとソウザは、自らの数奇な生涯をなにも語ってくれない。しかし、ゴンザが書き残した著作によって、彼らのふるさとでの生活が言霊(ことだま)で甦ってくる。  (ゴンザファンクラブ誌より)

(注)ゴンザが編纂した露日辞典では、日本語が薩摩の言語となっているのがとてもおもしろい。
ゴンザ通り 吉村会長
ゴンザ
ファンクラブ
吉村会長

ゴンザの看板
<ゴンザ辞典より抜粋>

青年・・・ニセ
私の・・・オイガト
近い・・・チケ
平和・・・ナカナオイ
少し・・・チット
翻訳する・コトバウツス
知らぬ・・シタン
友人・・・ネンゴロ
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